出会いは子育ての悩みから
《子育ての悩み》
RAPT BLOGとの出会いは子育ての悩みが、きっかけでした。
子供のいる御家庭ならば、子の成長と共に思春期、反抗期を迎え、それに伴う「悩み」も出てくるかと思います。
私には一人息子がいます。
先輩ママから「反抗期」のエピソードを色々聞いていたので、いつか来るであろうその時を覚悟していてました。
私は子供の頃、反抗期らしい反抗もできず苦しかった記憶があるので、寧ろ、わが子にその時が来たら、子の成長を喜び歓迎しよう!などと、余裕で構えていました。
ところが想像とは大違い。
思っていたよりもずっと大変な毎日を過ごす事になりました。
この時期は、簡単に親の言う事を聞く筈もなく、様々な要望を突きつけてきては、納得する答えを求めてきました。それは子の成長であり確かに嬉しい事です。
けれど、子の周りには様々な考えや価値観があり、当然 自分にとって都合の良い言い分を主張してきます。
だからこそ、しっかりと善悪を教えるチャンスだと思いました。
子供と関わる時、あらゆる場面で正しい判断が求められました。
ところが、、、。
ちゃんと答えてを出せない自分に気がつきました。
『何が善で、何が悪なのか。』
そんな時、いつも私を迷わせたのは意外にも、それまで頭に詰め込んできた「子育て情報」でした。
振り返ると、子供が幼稚園へ行くようになった頃から「情報量こそ成功のカギ」と思い立ち、せめて人並みくらいにはと、育児や教育関係の情報に目を通すようになっていました。
そして、その都度、良いと思われる教育法を実践してみたものの、手応えがイマイチで「これは違う」「あれも違う」と感じていました。
本屋さんに行くとスピリチュアル関係や医学、心理学、哲学など、各分野から出された子育て本があちらこちらに並んでいました。
どれも興味の引くタイトルで専門知識が無くても読みやすい簡単な内容でしたので、取り敢えずアレコレと手を出していました。
その時は、多くの知識を得ることで、多角的に物事を見られるようになり臨機応変に対応できるのではないか?とにかく知識や情報の引き出しを増やしたいと思っていました。
けれど結局は、広く浅くサーっと読んで知ったつもりで終わり。何もしないでいる事が不安だったので、それを解消する為の単なる気休めでしかありませんでした。
それに、それぞれの情報には一貫性が無く、あれこれと手を出す事で、かえって迷う事が多くなっていきました。
迷いが生じるのは理解が足りないせいだと思い、矛盾を感じた所は自分なりに無理矢理、辻褄合わせをしては、納得するようにしていました。
そして、わが子が反抗期を迎えた時、今まで何とか誤魔化していた私自身の思考の混乱が 露わになってしまったのです。
気が付けば周りのお母さん方が卒なくこなしている事が、自分だけが出来なくなっていました。
子供への声かけや対応にいちいち迷いが出てしまい、善悪の判断もまともに出来なくなっていました。
『子育て関連については、あれこれと読んだり調べているのに、何故いざという時、答えがぼやけてしまうのか?
何故、適切な対応が取れず四苦八苦してしまうのか?
善悪を教えたい。
でも本当の善悪が自分でもわからない。
何か参考になるものはないか?
どこかに答えはないか?
世の中の善悪をハッキリと分けて教えてくれるものは無いのか?
判断基準をみんなはどうしているんだろう?
もし間違えて善を悪と教えてしまったらどうしよう。
もし悪を善と思い、許してしまったらどうしよう。
いや、今までも、そんな失敗はたくさんしてきてしまった。
叱るべきところで叱らず、褒めるところで褒めず。
親の自分に善悪が分からないのだから教える事もできない。』
そんな思いが毎日、頭の中でグルグルと駆け巡るようになりました。
自分の愚かさと知能の低さに日に日に落ち込んでいき、精神的に追い詰められ、暗く沈みがちになっていきました。
そして、子供と関わることすら苦しくなっていきました。
考えが堂々巡りで何も見えなくなっていました。
私を苦しめていたのは善悪の混乱。
「~しなければ」と、恐怖の支配。
他の人ができる事ができないと言う自己否定。
やればやるほどダメになる、無気力感。
気が付けば、自分の存在意義すら分からなくなり、考えれば考えるほど「消えたい、死にたい」とさえ思うようになっていました。
今思えば、まるでカルトに支配されたような状態だったのかも知れません。
後に、ラプトブログの一般記事を読むことで、この世の様々な分野にはカルト思想が盛り込まれている事を知り、子育て本も例外では無いのだと知りました。又、スピリチュアルは悪魔崇拝と言うことにも、とても驚きました。
私は「スピリチュアル子育て本」も熱心に読んでいたのです。
何の疑いもなく読んでいたものに悪意があり、気が付かないうちに洗脳状態にさせてしまう。何と恐ろしい事でしょうか。
RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。
この世の中のどこを見渡しても、善と悪がごちゃ混ぜであり、善悪を混乱させるものばかりが蔓延っていたのです。
ですから正しい答えを求めてもどこにも答えは見つけられず、求めれば求めるほど、頭の中に白いモヤがかかっていくような感覚になり益々、解決の糸口が見つからなくなっていたのです。
そうして出した答えは
「もう全てを失ってもしょうがない。悩むのはやめよう…諦めよう…それしかない。」
そう思うしかありませんでした。
その次の日です。
不思議な事がありました。
朝から何故か「陰謀論を検索しなくてはいけない」と思い始めました。
陰謀論に関しては、数年前に少しだけ興味を持って調べたことがありましたが、それから暫く遠のいていたのです。
けれど今、子育ての悩みでいっぱいな筈なのに、何故突然、陰謀論なのか自分でも全く分かりませんでした。
そしてその考え(陰謀論を検索しなきゃという考え)が、どんどん膨らんできて、そうせずにはいられない衝動に駆られました。
まるで何かに突き動かされている感覚でした。
そしてRAPT BLOGに出会えました。
RAPTブログは、世の中の陰謀論と言われるものとは全く異なった内容に驚きました。
私が陰謀論を読まなくなっていたのは、結局最後は「ふざけてる」と思うしかない内容で締めくくられているものばかりだったので、真剣に読むのが馬鹿馬鹿しく思えてきたからです。
それでも、その陰謀論と言われているものは、ある程度は真実なんだろうと思っていたので、真実を知りたいという気持ちが解決られずモヤモヤするばかりでした。
そして出会えたRAPTブログ。
がんの事。
天皇の事。
地震の事。
原爆の事。
原発の事。
痛快明快なその内容に本当に感動しました。
そして、自分には全く関係なく思えていた事件事故、テレビで流されるニュースの裏側の真実を知ることで、自分の身近にある疑問や矛盾が紐解かれていきました。
子育ての悩みも、そこから生じている部分もあるということを知る事ができました。
真実の力の凄さを身に染みて感じました。
私をB層から救ってくれたブログです。
その出会いは今、思い起こしても不思議であり、神様が導いて下さったのだとしか思えないような出会いでした。
こんなにも愚かな私でさえも、神様は正しい道へと導いて下さるのだと驚き喜びました。
ラプトブログに出会う直前まで虚無感で生きるか死ぬかなどと考えるほど荒んでいたのに、ブログを読み始めた途端、驚きと、喜びと、希望にワクワクしたのを覚えています。
ラプトブログ(一般記事も有料記事もどちらも)は、どんな人のどんな悩みにも効く、万能薬のようだと思いました。
あのまま 荒んだ考えのまま、荒んだ道に向かわずに済んだのは
RaptさんとRAPT BLOGとの出会いであり神様との出会いのお陰です。
神様に出会えたお陰で本当に人生が変わったのだと今、改めて確信しています。
どうか一人でも多くの方がRAPT BLOGに出会い、真実に出会い、神様に出会い救われ、祝福の道を歩んで行けますことを心から願います。
一人でも多くの方にRaptさんと神様の愛が届きますように願います。
ありがとうございました。